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Busqueda de tesoros 

     スペイン留学日記と旅の記録

チナチナうるさい

長い間何も書いていなかったけれど、部屋のネット環境が激しく悪かった…と言い訳。

この間にも、ものすごく色んなことがあったので、少しずつ更新していこうと思う。
引越しそして引越し、嬉しい再会、小旅行・・・などなど、この間にも色々なことがあったので、
少しずつ書いていくつもりだ。

前回1回更新した時に、アジア人差別みたいなことも気にしないで頑張るぞ~みたいなことを書いたような気がするが、早速だけれど前言撤回したい。
気にしないで済むようなレベルではなくなかなか見事に癪に障る問題だったので、私はこれからも気にするしどんどん怒るだろう。



「チナ!」
「チニータ!!」
私が住む田舎町では、かなりの頻度でこの言葉を聞かされる。

ようは「中国人!」「中国女!」ということなのだが、こっちの人には日本人と中国人の見分けなどつかないものだから、日本人の私もこのように冷やかされることはしばしばある。
私が受ける印象では、大抵の場合が悪意や蔑視、差別的意味合いが含まれているように思う。
そしてそれが“中国”を指している場合と、日本を含むアジア全般を指している場合があると思われる。

私達に向かって「チナ!」「チニータ!」と呼びかけてくるパターン、
通りすがりに「チナ」と耳元で呟かれるパターン、
すれ違いざまにものすごい大声で「チナーーー!」と叫ばれたこともある。
私が遭遇したほとんどが、10代~20代前半の若者、中年の男(ちょっとだらしない感じの人)だ。

こっちに来た当初こそ、「チナ!」なんて吐き捨てられると、「私は日本人なのに…」なんて思ったり、正直この国で良く思われていない中国人と間違えられることへの恐怖を感じることもあった。

でももはやそんなことはどうでもいいのだ。中国人だと思うなら勝手にそう思っていればいい。
ただ、仮に私が中国人だとして、見ず知らずの人間にわざわざ「中国人!」と叫ぶ意味がわからない。その唐突で無礼な呼びかけが頭に来るのだ。通りすがりにいきなり「やい日本人!」と言われても同じくカチンと来るだろう。
見ず知らずの通りすがりの人間に「中国人!」とか「日本人!」とか叫ぶことの、一体何が楽しいのか皆目わからない。

アジア人でない彼らに、中国人と韓国人と日本人の見分けがつかないということは、(私の個人的な好みの問題は置いておくとして)まあ仕方がない。
私だって、スペイン人とイタリア人とポルトガル人の見た目などまったくもって区別がつかない。
少し前の東京でも外国人といえば誰かれ構わず「アメリカ人」と思われていた時代もあっただろう。
それでも、東京で外国人を見かけてわざわざ「やいアメリカ人!」とか「このイラン人やろう!」なんて叫ぶ人など見たことがないし、そんなことをして『ああ楽しいなぁ』なんて思う大人がいるとは考えにくい。


「チナ!」と叫ぶ人の中には、両手を使って目を細めるジェスチャーをつけてくる人も多い。
細く釣りあがった目という、アジア人に対するイメージのアレだ。
ちなみに私の顔は典型的な日本人顔であるが、目だけは大きい。
大体の場合において、そのジェスチャーをしてくるスペイン人の顔には私よりも小さな目がくっついているので滑稽だ。

そういえばこの間は20代半ばくらいの男の集団に「チャイニーズタウン!!」と合唱されて唖然とした。
仮に私が中国人だったとしよう。であれば私はチャイニーズだろう。中国人ではあっても中華街ではないため、チャイニーズタウンではない。

一度、20代前半と思われる男から「チナ」と言われて「日本人だけど何か用」と言い返した時に、「同じでしょ?日本って中国の島でしょ?」と真顔で言われたこともある。
無知蒙昧というか、二文字の言葉で片付けてやりたくなるのだが、教育レベルの低さに愕然とする。

もちろん全部のスペイン人がそんなでは決してないし、きちんとした教育を受けてきているスペイン人や、親日家のスペイン人もたくさんいる。
でも、そうでない「Mala educacion」なスペイン人が驚くほど多くて、開いた口が塞がらないことがしばしばだ。

この件については、一朝一夕に考え方をどうこうできるようなことではないので、この国に滞在する間に、怒りを伴いつつも興味深く観察していこうと思う。


ちなみに、若いスペイン人の女の子から嫌~な目で見られたりヒソヒソ話をされることもある。
それについて私のスペイン人の同い年の友人に話してみた。
彼女の見解では、

「スペインの男は日本人や韓国人の女の子が好きだから、チヤホヤするしモテるでしょ。女の子たちはそれが気に入らないの。だから若い女の子はアジアの女の子が好きじゃないことが多いかもね。」

ということなのだが、冗談じゃないよと思う。私はこっちに来てスペインの男にチヤホヤしてもらったことなど一度もないし、私はモテているなぁなどと感じたことは一度もない。
本当に友人の言う通りなら、チヤホヤされていい気分にでもなっていればそのくらいの対価はお安いものかもしれないが、私はチヤホヤされていないので理不尽としかいいようがない。まったく冗談じゃない。

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手続きのズッコケ道中

こちらへ来て、必要事項の一つの銀行口座の開設は、語学学校の先生の取り計らいにより
韓国人留学生に10割方手伝ってもらった。
その韓国人留学生の取り計らいにより、もう一つの必要事項の携帯電話の購入も、
日本人留学生に10割方手伝ってもらった。
銀行口座は2日をかけて結果的に開設できたものの、tarjeta extranjeroがないと申請出来ないと色々な銀行をたらい回しにされたりと難易度が高かったので
韓国人の彼女がいなければ、私は銀行の窓口で成すすべなく途方に暮れただろう。
携帯電話の購入も日本人留学生の彼女がいなければ、プリペイドのシステムがさっぱりわからず
購入を諦め開き直って日本の携帯を使用し続け、とてつもない請求を目の前にして途方に暮れただろう。

私よりもはるかに年下の彼女達にものすごく助けられて親切な彼女らに感謝すると同時に、
さすがにいい年をして情けなくなくなった私は、これからは自分のことは自分でしなきゃいけないナァと考えていた矢先に、今日はtarjeta de estudianteの申請のためにOficina de extranjeroへ行くことになり、またまた別の韓国人留学生の助けを借りた。

というわけで、韓国人の彼女がOficinaに行くのに便乗させてもらい、
今日は授業の前の時間にtsrjeta de estudianteの申請に行ってきた。

ただ、今日はさすがに、連れて行ってもらう以上の助けを借りてはいけないと思っていたので、
「今日から自分のことは自分でやるぞ」などと中学に進学した生徒が考えるようなことを27歳の私は考え、韓国人の彼女には自分の用事だけを気にかけてもらうようにした。
おかけでかなりてこずったものの、なんとか全ての必要事項を揃え、申請が終わった。

必要だったものは
1.パスポート+コピー
2. 保険の付保証明+コピー
3. 健康診断書+コピー
4. 学校が発行した書類+コピー
5.現地で渡されたフォーマット+コピー
6.銀行で16.32ユーロを支払い、そこでもらうレシートみたいな書類

確かこんなところだったと思うのだが、1~4はすべて日本でのビザ申請の際に使った書類で、
なぜビザ申請時と同じことを繰り返しているのか疑問に思いながら、とにかくあちこち走り回る羽目になった。
日本で発行されたビザだけで滞在を有効にしてくれればと思う気持ちは置いておいて、
せめてこの時にどの書類のコピーが必要なのかを教えてくれていれば、
コピーをしに郵便局へ走ったりという手間は省けるのにと思うが仕方ない。

一旦必要書類等について窓口で説明を受けた後、私は郵便局へコピーを取りに行った。
郵便局がどこにあるのかわからず、外にいたPOLICIAのお兄さんに道を尋ねると、
この辺でどこにあるかわからないからと遥か遠くのPlaza Mayorのそばの郵便局を教えられた。
絶対近くにあるだろうけれどわからないからこの際仕方ないと思い、言われた郵便局の方へ大急ぎで歩き出したのだが、数分してふと地図を見た私は、先ほどのOficinaのそばに郵便局のマークがあるのを発見したので
今度は大急ぎで戻った。
最初から地図を見ればよかっただけだ。きっとしっかりした人ならこんな時間のロスはしないのだろう。

そして郵便局でコピーを頼み、ついでに日本に送る手紙の切手を入手しようと、窓口で尋ねた。
ESTANCOで買えると思っていたが、私が普段通る道のESTANCOには国際郵便切手がないらしいのだ。

局員に「日本までの切手を2枚ほしい」と伝えたところ、「ここには置いていない」と言われた。
なんと!郵便局ですら扱っていないところがあるのか。
都会でない上にセントロじゃないからかと思い、「じゃあどこで買える?」と尋ねてみた。
すると、さらに局員が集まって皆で考え出し、ああでもないこうでもないと話し合った結果、
「たぶん、どこどこの旅行代理店にあるんじゃないか」という結論に達した。
なんと!この街では国際郵便切手は旅行代理店が売っているのか。
驚いた私は、とりあえず言われた通りに後で行ってみようと思い、郵便局をあとにした。
郵便切手なのに郵便局になく旅行代理店に置いてあるとは驚きだったが、そういうこともあるのかァ、日本は何かと便利だなァなどと考えていた。

そしてコピーを持って窓口に戻り、今度は銀行での入金を指示されたので、ついでにその旅行代理店へ行って切手を買おうと思い、少し遠くの銀行まで向かいながらぼんやりと切手のことを思い出していた。
その時、私は致命的な間違いに気づいた。

郵便局で「Sellos para Japon(日本へ送る切手)」と言ったつもりだったが、
私は「Billetes para Japon(日本までのチケット)」と言っていた気がする。
切手ではなく航空券を欲しがっていたのか私は。
Billetesなら郵便局に置いていなくて旅行代理店に置いてあって当然だ。
便利な日本でも、さすがに郵便局で航空券は買えない。
旅行代理店に売っているのは切手ではないから、いま私が銀行のついでに旅行代理店に行っても切手は買えないのだ。
わざわざ遠くの銀行へ行かなくても、目の前にあった銀行で入金すれば良かったということだ。

それに気づいて恥ずかしいやら情けないやらどうしようもない気持ちになったが、
郵便局員には変な東洋人が変な質問をしてきたなくらいにしか思われていないだろうから、
もう思い出すのをやめた。
そして、こんなヘンテコな質問のために、局員が何人も集まってああでもないこうでもないと意見してくれるスペイン人は親切だったなぁと考えているうちにOficinaでの手続きが終了した。

Tarjeta de estudianteは次で受け取れるのかその他の手続きがあるのか聞き取れなかったが、
とにかく郵便で知らせが送られてきたら次は警察に行けばいいということだけわかったので、
しばらくは必要な手続きもなく、普通に生活できるようだ。

Tarjetaの連絡まではだいぶ時間がかかるようなので、次に行く時までにはまともに会話が出来るようになっていたいと心底思う。

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スペイン留学生活、始まっています

スペインに来て早1週間。
私の留学生活はすでに始まっています。

ブログも前回の更新からあっという間に2ヶ月が経ち・・・
もう書くのはやめてしまおうかとも思ったけれど、1週間を過ごしてみて、
根がぐうたらな私は、限られた時間を有意義に過ごすために、日々
『記録をつけなきゃいけないプレッシャー』みたいなものがあった方がいいかとも思い、
自分のペースで留学生活を書き記していくことにしました。

というわけで、今日からブログを再開しようと思います。



いま私は、スペインのとある小都市で生活している。

滞在先はスペイン人のファミリアで、マルコス夫妻と彼らの娘が一人に、
小さなヨークシャーテリアが一匹。
そしてホストファミリー以外には1人のアメリカ人留学生がいる。
彼女はもう数ヶ月この家で生活していて、スペイン語でのコミュニケーションも問題ない様子。
一方、私のスペイン語は初心者同然。
もう少し言葉が聞き取れるかなと思って来てみたものの、とんでもなかった。
食事の時間には、ファミリアのものすごいスピードの会話の一部分を聞き取るのが精一杯で、
いつもなんとなくヘラヘラしながら食卓での団欒に参加している。

この家に来た当初、ファミリア(特に女性陣)の会話の速さに圧倒されてしまい、
同じ留学生の彼女に話しかけてみたのだが、返ってきた言葉はものすごいスパングリッシュで
何を言っているのかますますわからず途方に暮れた。
彼女の出身を聞いてみるとアメリカ北部の田舎だということで、
なるほど訛った英語訛りのスペイン語など、私のレベルで簡単に理解できるはずもなかった。

とにかく、こんな中でちゃんと暮らしていけるのかなぁと不安に駆られたものだが、
人間の適応能力はなかなか大したもので、1週間経った今は最初より「聞き取れる」とは
いかないまでも、だいぶマシなコミュニケーションが取れるようになった。
ファミリアはとても親切で、特にセニョーラが日本びいきで色々話をしてくれ、
食事も美味しいし、個人の部屋には机がないという難点はあるものの
総じて「大当り」のファミリアだと思う。

今はこのような家にお世話になりながら生活を送っている。


明日からは、この家を生活の拠点にしながら、これまでの一週間の間に起こった色々な出来事と、
これから過ごす日々を少しずつ記録していこうと思う。

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【カコタビ6】バンコクのタクシードライバー

タイ・バンコク。
それほど好きなわけではないのに、過去の渡航回数は7回。
その中には仕事での渡航も2回含まれているのだが、それにしても好きではないわりに結構行ったなあと思う。
北米やヨーロッパと違い、タイは行くたびに何かしら起こり「二度と来るかよ!」と思うのだが、
その後も仕事ではない自分の意思で、二度どころか五度も行っている。

仕事で1ヶ月ちょっと滞在していた頃には、自分の世界観を変える出来事が沢山あったのだが、
仕事だけではなくバンコクの街中で遭遇する些細なこともきっかけになったように思う。


あれは3年前、確か4度目のタイ。
私はどういうわけかクリスマスシーズンに一人でタイへ行った。

ANAの最終便で成田を経ち、バンコクに到着した頃には日付が変わろうとしていた。
いつもの通り、スワンナプーム空港の到着ロビーを出るとパブリックタクシー乗り場へ向かう。
列の先の係員に行き先を告げ、タクシーへ誘導される。
ここで係員に行き先を告げた際、何と書かれたのかよくわからないクーポンを受け取るのだが、
たぶん行き先のホテル名と運賃が書いてあるのだろうと思っている。
それを乗る車のドライバーに見せ、念のため口頭でも高速代・チップを含めた金額を確認し、
合意した上でスーツケースを車のトランクに積む。
日本のタクシーなんかに比べるととてつもなくおんぼろのバンコクのタクシーだが、
このシートに座った瞬間、“バンコクにやって来たなァ”という気持ちになる。

空港から街中へ向かうタクシーのドライバーは、今までほとんどがフレンドリーな人だった。
英語も簡単な会話が成り立つ程度には話せる人が多かった。
この時も例外でなく、フレンドリーなドライバーは積極的に話しかけてくる。

夜中の1時頃だが、この時間帯はバンコクは大概ものすごい交通渋滞なのだ。
毎度ながら真夜中にこの大渋滞って一体どういうことかと思いながら運転手と会話をしていると
「外を見て」と言われ、渋滞で止まった車の窓の外へ目をやった。

外には10歳にもなっていないであろう小さな子供達が、左右を車が行き交う道路の真ん中で、
花やモップを持って立っているのだ。それもこんな真夜中に、だ。

タイは本当に貧富の差が激しく、バンコクの都会をきれいに着飾って歩いている人もいるけれど、
その日の生活に必死な人も沢山いて、こんな風に夜中まで働かされる子どもや、物乞いの子どもも本当に多い。
初めて仕事でタイに来た時、駐在の人からそう話を聞いた。

この子供達も夜中まで働いている子供の一部であり、
子供が持つモップはおそらく車の窓を掃除するもの、
花は売るためのものなんだろうなぁと思いながら、
なんとも言えない気持ちで少しの時間、遠くにいる彼らを見ていた。

少しすると一人の女の子が私の乗っている車の横に来て、じっと車の中の私を見つめるのだ。
でもただの旅行者の私には何も出来ないと思い、気づいていながらも下を向いてじっとしていた。
すると、女の子が手に持っているモップで私の乗っている車の窓を黙って拭き始めた。
なんというか、胸が詰まるような思いで、直視出来なかった。
目の前の子供が、なんとかお金を得ようと真夜中にまで必死に働いている光景は、悲しいしつらい。
そう思うものの、やはり自分にとっては異国の地で起きていることであって、
どこか客観的な自分の感情は、悲しい映画を見て“可哀想”と思ったりするそれに似ていると思い
そんな自分の感情が冷酷に思えた。

ドライバーが、「5バーツか10バーツあるか?」と聞いてきたので、「20バーツしかない」と答えると
「その20バーツを彼女へ」みたいなことを言って窓を開けるので、
色々と複雑に思うところはあったものの、“今日はクリスマスだしな”とも思い、
窓越しに女の子に20バーツを渡した。
当時の20バーツは日本円にして約80円位で、金銭感覚的には日本人にとっての300円位だと聞いたことがある。
私から20バーツを受け取った女の子はニッコリと笑ったが、
私にはその笑顔がとても悲しい笑顔に見えた。

私がここで20バーツを渡すことの意味が自分でもわからなかった。
たった20バーツ、今渡したことで彼女は何かを得るのだろうか?
映画を見るかのような客観的な目線で、可哀想とか気の毒とか思う気持ちは
きっと、エゴからくる単なる『同情』であり、
私にはこの現実で生きている彼女らにそんな感情を抱く権利はない。
一時的な20バーツは私に大きな罪悪感だけを残した。

黙って色々と考えていた私に、ドライバーが言った。
「彼女達はノーパパ、ノーママ、ノースクール。彼女を笑顔にしたYouは、素敵なレディだ。」
みたいなことを。

確かに私が20バーツ渡したところで悲しい子供達は沢山いる事実は何も変わらないけれど、
一瞬でも一人の女の子が笑ってくれたなら、それでいい、と思うようにした。

お父さんもお母さんもいなくて、学校にも行けない。
夜中まで働いて、あの子たちはどこで寝るんだろう。
あのお金で、何ができるだろう。

そんなことを考えているうちに、タクシーは宿泊するホテルに到着した。

タクシーの料金は400バーツ。
高速代、チップ、全てを含む金額だと空港で言われた400バーツをドライバーに渡すと、
「あと100バーツ」と言われたので、私は「これが全部、もう払わないよ」と言った。
すると、それまでフレンドリーで気のいい男だと思っていたドライバーがこう言うのだ。

「Youはさっきあの女の子に20バーツを渡した。だから俺にも100バーツよこせ。」

続いてニヤニヤしながらこう言い放った。

「俺はノーワイフ、ノーガールフレンド、可哀想だと思わないのか!」

すごすぎる。なんて奴だ。
驚きのあまり、それまでの色々な思いが一気にぶっ飛んだ。

車を降りた蒸し暑い中、なんだか色々な感情で熱くなってしまった私はすごく腹が立ったので、

「私だってノーハズバンド、ノーボーイフレンド、ノーライフなんだよ!!」

最後のノーライフとかもう自分でも何を言っちゃってるのかサッパリわからなかったが、
400バーツを車のトランクの上に叩きつけて私はさっさとホテルに入った。

「何が微笑みの国だ、ニヤニヤしてるだけじゃないか。」なんてプリプリしながらも、
そうだった、これがタイだったなァ、とぼんやり考えた。


あのドライバーがああして生きているのもタイ、
あの子供達がああして生きているのもタイ、
物乞いやぼったくりがいるのもタイ、
パラゴンみたいな立派なデパートで買い物や食事をする人がいるのもタイ、
全部がタイの姿なんだ。

それを見て、豊かな日本に暮らせる自分に感謝しなくちゃ…などという気持ちは、
私はあまり持たない。
感じるべきこと、考えるべきことは、私にとってはそういうことではないように思う。
知的・情緒的な側面だけで世界観を述べずに包括的に把握して世界観を見直すというか、
そうした後に自分の位置だとか、ものの見方や行動だとかを考えられるようになればいい。

私は、旅行を楽しむという面だけではヨーロッパや北米が好きなのだが、
普段考えないことを考える機会は、東南アジアのような発展途上国での方が多くある。
のんびり流れる時間も、そうした時間を私に与えてくれるのかもしれない。
そうしたことが、私を「二度と来るかよ」と思うタイに、度々足を運ばせる魅力の一つなのだろう。


ちなみに、後に仲良くなった在住のアメリカ人の話では、
私が窓拭きの子供に渡した20バーツは本来はドライバーが渡す(支払う)べきものだそうなのだ。

そりゃそうだよなと思った。




タイの楽しい側面についてもまた書くつもりなので、次回の【カコタビ】で。

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【カコタビ5】 史上最高の・・・

【カコタビ5】はつい最近の旅
私の両親&彼と4人でベトナムへ行った時の話。


出発の2週間ほど前に軽い風邪をひいてしまい、それから喉と鼻の調子が悪いまま
出発の日を迎えてしまった。

もともと扁桃腺が腫れやすい私は、そのせいなのか何なのかわからないが
喉の痛みや咳の症状が出ると、それがしばらく続いてなかなか治らないのだ。
それはわりといつものことなので病院にも行っていなかったのだが、
念のための風邪薬と、行き先がベトナムなので胃薬を少し多めに持っていった。
空港では喉の痛みと咳に備えてトローチを購入した。
これで私の風邪対策は万全だ。


ラウンジでワインを飲んだり軽食をとったりしながらくつろぎ、
すでに私の気持ちは非日常の世界へと移っていた。

今回はビジネスクラスでの旅だったので、いつもは専らエコノミークラス利用の私達は
広いシートと細かく行き届いたサービスに、離陸前からすっかり満足していた。
どこでも瞬時に寝られる私はエコノミーでも特に問題はないのだが、
前の座席に座っている両親は年齢的にもビジネスクラスの移動の方が断然疲れも少ないだろうし
隣に座っている身体の大きな彼は、足を伸ばせるシートに満悦しているようだった。

離陸後

すぐに出されたウェルカムドリンクの、かぼすとカシスのジュースのようなものが
すごく美味しかった。
その後もCAの方の至れり尽くせりのサービスを受け、
やっぱりビジネスは違うなァ、親切だなァと夢見心地のなか
映画を見たり本を読んだりしながら、ホーチミンへの到着を待ちわびた。

終始、快適なフライトだった。
・・・はずだった。


飛行機が高度を下げ始めた頃、なんとなく耳が モアッ とする感じがした。
なんだか耳が詰まる感じがするぞと思い、唾を飲み込んでみた。

幼稚園児の頃、飛行機の離着陸時に耳が詰まる時には母から
「唾をごっくんってするのよ」とよく言われていたので、
それに従ってみたのだ。

しかしどうにもならない。

嫌な感じだなぁと思いながら、水を飲んでみたりしたのだが
一向によくならない。

そうこうするうちに飛行機は着陸態勢に入り、高度が急激に下がっていくのを感じた。

と同時に、耳の内部の様子がどんどんおかしくなる。

痛い。痛いぞ。

耳の中をキーンと、いつもは感じない痛みが走り、
その痛みは次第に激痛へと変わっていった。
なんだこりゃ、とんでもない激痛だ。

痛い痛いと隣の彼に訴えているのに、
最初は「大丈夫?」と軽く心配するだけ。


大 丈 夫 な わ け な い だ ろ
 

と、やり場のない痛みと苦しみを怒りに変えて、のん気な彼に心の中でぶつけながら、
もうどうにもこうにもたまらず、座席の上でのたうち回る私。
彼には痛みがわかるわけもないのだから、のん気でも仕方ないのに。

前の座席の母も振り向いて
「ゴックンってした?」
と、心配気に聞いてくるのだが、もうそれどころではない。
もはやこの痛みはゴックンでどうにかなるようなものではないのだ。

あの痛みの表現は難しいが、
両耳から思いっきり針金を刺しこまれたような痛み
とでも言えばいいのだろうか。
そしてその針金が耳から頭に抜けて踊り狂っているかのような痛みなのだ。
耳も頭もとにかく痛い。
これまでに経験したどんな痛みよりも痛く、私史上最高の、痛みのトップの座へと躍り出た。

私の様子が尋常ではないと感じたらしい彼が、隣でオロオロし始めたのが見えたような気がするが
私は
「耳栓もらって」
と、頼むのが精一杯だった。

耳栓をもらった私は、袋も彼に開けさせ、受け取った耳栓をとにかく耳に突っ込んだ。

・・・気休めにしかならない。

着陸まで耳と頭を抱えながら、なんとか眠って痛みを忘れられないものかと試みたり、
意識を別のものに集中させられないかと試みたりもしてみたが、
そんなこと出来るわけがない。これは史上最高の痛みなのだ。
何かあったときに「死ぬかと思った」という表現は好きでないので
使わないように気をつけているのだが、
ほんとに死ぬかと思った。

着陸までの数十分を何時間にも感じながら、飛行機はようやくホーチミンに着陸した。


到着後、私は即座にGoogleで「耳 激痛 飛行機」と検索してみたのだが、
どうもこの症状は“航空性中耳炎”というもののようだった。
中耳炎というものにかかったことはないし、私の中耳炎についての知識はゼロに等しく
小学校の時に中耳炎でプールを見学していた子がいたなぁという程度のものだった。

滞在中は、激痛を感じることはなかったものの鈍い痛みが長く続き、
耳は常に詰まる感じがしていたので私は何度も耳抜き(バルサルバ法)を試みてしまった。
(当然だが、中耳炎の時にこんなことはしてはいけないと、後でお医者様から叱られた。)
早く日本に帰って病院に行きたいと思う反面、また飛行機に乗るということは
あの激痛を味わうことになるのか・・・と、憂鬱で仕方なかった。

ちなみに私は、これまで飛行機の搭乗経験はそれなりにあり、
回数はわからないものの100回はゆうに超えていると思うのだが、
こんな経験をしたのは今回がまったくの初めてだ。


そしてついに日本に帰る日。飛行機に乗るのが本当に嫌で仕方なかったが、
日本に帰れば病院に行けるということだけ考えることにした。

座席についてすぐ、私達の座席の担当のCAの方に、行きの飛行機で航空性中耳炎に
なったらしいことを話した。
するとCAさんは、離陸時・着陸時の注意と対処法を話してくださり、
顎を動かすといいとのことで、それぞれの時間に飴を持ってくると言って下さった。

行きと違い、すでに中耳炎になっていると思われる私の耳は、
離陸時にも痛んだが、行きの激痛(史上最高)に比べたらこんなもの痛みでもなんでもない。
痛みのTOP10にも入らない。


飛行中はわりと快適に過ごすことが出来たのだが、途中、CAさんが様子を気にかけて
来てくれたり、そろそろ高度が下がり始めるという時にも知らせに来てくださった。

そしてついに着陸の時がやってきてしまった。
不安で不安で仕方ないところに、CAさんが大量の飴を座席に持ってきて下さった。
到着前の食事を終えた後だったが、とにかく顎を動かすために飴をなめた。
ひたすらなめてなめて、こんな短時間にこんなになめることが出来るのかと驚くほど
空になった飴の袋が散らかっていた。
持参したトローチもほとんど無くなった。

帰りも激痛だった。行きほどではないが再び私は座席の上でのたうち回った。
行き同様、隣に居てただ見守るだけでオロオロしている彼の様子を感じたが、
今は私はこの猛烈な痛みと戦うことだけで精一杯なので、
申し訳ないが彼にはそのままオロオロしていてもらった。

成田に到着後も耳は相変わらず痛かったが、CAさんの親切のおかげで行きよりもだいぶ
痛みを感じずに済んだので、感謝を伝えてから飛行機を降りた。
そして帰宅してすぐに耳鼻科へ直行した。

お医者様の診断では、予想していた通り「航空性中耳炎」ということだった。
耳の中の様子を画面で見せてもらったが、真っ赤になっているのがよくわかった。
私の場合の原因は、出発前にひいていた風邪らしい。
鼻が詰まっていたり、喉が痛かったことで、鼻腔とつながっている中耳の圧の調整が
出来なかったとか、確かそんなようなことを言われた。
病院に行っておけばよかったと、つくづく後悔した。

飛行機に乗る前には、とにかく風邪などをひかないようにして、
もし風邪をひいてしまったらしっかり治すこと。
体調を万全にして乗ることが大切だという簡単なことを、私は身を以て学んだのだった。


そんなこんなで、せっかくの快適なビジネスクラスの旅が台無しのようにも思えたが、
あれがビジネスではなくエコノミーの窮屈な座席で起こっていたら
とても我慢し切れなかっただろうし、CAの方にもこれほど助けてもらうことは
出来なかっただろうとも思うので、結果的にビジネスで本当に良かった。
今回のフライトのCAの皆さんは、往復ともにすごく親切だった。

普段、親や彼にスチュワーデスさん(CA)の話をするときに、
私はどういうわけだかいつも「看護婦さん」と言い間違えてしまうのだが、
今回は本当にスチュワーデスさんは看護婦さんのようだったなァと、
耳が痛くない今、のん気に考えることが出来る。

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